あたしの宝物

「かみや~!つもってるよ~!!」

誰もいないホールに高い声が響く。バイトの水嶋咲は雪をまとったコートをはらい、薄暗いホールの様子を伺った。休業日だが暖房が入っているのは店長の神谷幸広が来ている証拠だ。いつもならロッカールームで着替えるところだが、今日はオフ。窓際の席にコートと荷物を下ろし、手を洗うついでにトイレへと向かう。

今日の掃除表を確認すると、朝と昼の欄に神谷のサインが入っていた。店長は休みの日も抜かりない。

「ペーパーよし、ゴミ箱よし、今日のあたしもパピっとヨシ!」

備品の指差し確認をして、鏡の向こうの自分にウインク。ロッカールームよりも光が多いトイレの鏡は咲のお気に入りだ。(長居するとパティシエの東雲荘一郎に怒られるのでいつもはあまり使えないけれど。) 学校帰りの変身もすっかり恒例となった。ポケットからリップを取り出し塗り直す。鼻の頭が少し赤い。なにせ外は雪が降るほどの気温だ。

でもこれはこれで自然なチークで可愛いかも、と鏡に向かって笑顔を作る。

「うん、ばっちり!」

今日もとびきり可愛く、望む自分になれていることを確認した咲は、最後にもう一度備品を確認してその場を後にした。


「やあ咲 おかえり」

「ただいま〜!」

トイレから出た咲に、カウンターの扉から顔を出した神谷が声をかける。バイトの日でなくても「おかえり」と迎えてくれる神谷が咲は好きだ。家よりも家みたいに心地良いよね、というのは友達でバイト仲間の卯月巻緒の言葉で、咲もそれに同意見だった。

「今日は巻緒と一緒じゃないんだな」

よっ、とテーブルの上に神谷が乗せたのは大量の書類ファイル。そろそろ季節は確定申告だ。咲にはまだよくわからないが、連日頭を抱える荘一郎を思い出し楽しいことではないということは察していた。きっと今日も眉間にシワを寄せる荘一郎が見られるに違いない。

「ロールとそういちろうは後で来るって、それより外見た?!」

駆け寄りテーブルに身を乗り出す。思いがけず勢いがつき、咲は神谷の置いた大量の書類達に感謝した。ファイルがなければテーブルクロスがずれるか、最悪テーブルごと倒れていたかもしれない。

そんな渾身の問いかけに答えずきょとんとする神谷に、まったく仕方ないな、と咲は横の大きなカーテンを両手で掴む。

「ほら!」

一気に開け放たれたカーテンから柔らかく白い光が差し込んで。

窓の外は、一面の銀世界。

「雪…!」

突如現れたその光景に神谷は思わず息を呑んだ。窓ガラスに顔を寄せると、ひんやりとした冷気が頬を刺激する。かかる吐息に曇るガラスが外の気温を想像させた。

「すごいな、予報では聞いてたけど…まさかつもるなんて」

屋根に、木々に、道に。スローモーションで降りてくる雪は、静かに辺り一帯を飲み込んでいる。重なり続ける白色は景色の輪郭を際立たせ、見慣れた窓枠は見知らぬ絵画を飾る額縁へと変わっていた。

「LINKでみんなに送ったのに、かみやとアスラン既読つかないんだもん」

咲が椅子に腰をかけながら頬をふくらませる。神谷がスマートフォンを取り出しLINKアプリを確認すると、1時間ほど前に咲から画像が送られてきていた。荘一郎と巻緒からはコメントもついている。

神谷が気付かなかったことを素直に謝ると、咲は怒ってないよと笑った。

「お昼頃にはもう降り始めててね、あたしが学校出るときにはもうつもってたんだ」

咲もスマートフォンを取り出し画面を指でなぞる。ここに来るまでに撮った写真で、カメラロールは白く染まっていた。東京ではそう頻繁に雪がつもることはない。関東で生まれ育った咲にとって、雪は一年に一度あるかないかのイベントのようなものだ。いつまで降り続くだろうか。明日まで雪は残るだろうか。明日まだ残っていたらみんなで雪合戦したいなあ、と考えて咲は心を踊らせた。

「明日学校休みにならないかな〜」

明日の天気予報は晴れ。昼頃には確実に解けてしまう雪を儚み、机に突っ伏したツインテールは願いを口にする。この程度の積雪では電車は遅れても学校は通常通りだろう。こらこら、と柔らかく微笑んだツッコミを期待して、咲は神谷の反応を待った。

が、返ってきたのは想像を遥かに超える言葉。

「アスランに似合うな」

「え?」

あまりにも噛み合わない会話に咲は一瞬自分の耳を疑うほどだった。思わず顔を上げたが、視線の先の神谷は特に気にする様子もなく窓の外を見つめている。おそらく自分が吐いた言葉にさえ気づいていないだろう。心ここに在らず。きっと神谷の脳裏には、付き合って間もない恋人アスラン=BBII世が浮かんでいる。

緩くウェーブした黒い髪、ケープ付きの黒いロングコート。手袋の先からブーツのつま先まで黒く染まった彼のシルエットは、真っ白なキャンバスで主役になるに違いない。神谷の目に映る窓の外で、幻想の彼が踊る。ヒラリと翻るコートの裾から覗く真紅の裏地。白の世界で宝石の様に燃えるそれと同色の彼の右目が揺らめいて、開かれた口は笑みを含み神谷の名前を呼ぶ。

『カミヤ』

「かみや?」

ハッと神谷が我に返ると、机から自分を見上げる咲と目が合った。何か言いたそうに輝く咲の目に、急に恥ずかしくなった神谷は目を泳がせる。いつの間にか触れていた窓の結露の雫が、神谷の手の平を濡らしている。窓の外には誰もいない。静々と雪が降り積もるだけだ。

神谷は高鳴る心臓を見破られないように、なるべく落ち着いた声色で言葉を探した。

「あー…俺、アスランに伝えて来るよ。咲も来るか?」

「ううん、ここでロール達を待ってる!」

「わかった、揃ったらティータイムにしよう」

「うん!」

耳まで赤く染めた神谷を、咲は気付かないふりで見送る。

つっこみたいところは山ほどあった。わざわざ一緒に来るかと誘うところ。濡れた手の平もそのままに、逃げるようにこの場を去るところ。裏口の方が近いのに正面口から自宅へ向かうところ。すべて誤魔化しきれない動揺の表れだ。

カランコロンと玄関の音が鳴り視界から神谷が消えると同時に、咲は堪えきれなくなった声を漏らすのだった。

「あー!おっかしー!慌てすぎだって~!」

咲にとって雇い主である神谷は人生の先輩。しかし実際はたったの三歳差、同年代と言っても過言ではない。ただでさえ方向音痴の彼が、できたばかりの恋人で頭の中をいっぱいにしてしまったら出口さえも間違える。咲はそんな初々しい店長が可愛くて可笑しくて、あとでみんなにも教えてあげようと企むのだった。恋バナは高校生の十八番だ。

「本当に好きなんだなぁ」

名残惜しく微かに揺れる玄関の鐘を眺めながら、ふと咲は昔読んだ本を思い出した。『雪が降っていることを伝えたい相手こそ、心の底から好きな人である』という内容のそれを読んだのはいつだったか。当時あまりピンと来なかった一節が、今の咲にはしっくりきていた。恋はまだよくわからないけれど、好きの感情はよくわかる。お気に入りの宝物を大切な人と共有したい、そんな気持ちに心当たりがあった。

「あたしの一番好きな人、か…」

握ったスマートフォンからカフェパレードのグループLINKを開くと、自分の送った画像が真っ先に目に入る。学校から出た瞬間に目に入った真っ白な世界。咲が真っ先に伝えたいと思った景色がそこに貼られている。

ーあたしにとっての雪を伝える特別な相手は、誰か一人じゃなくて、カフェパレードのみんななんだ。

自分が自分でいられる場所であるカフェパレードと、そこに集まるみんなを愛しいと思う。これが咲にとって揺るぎない気持ち。

わかってはいたものの改めて自覚すると照れくさい感情に、咲は1人誤魔化すように笑い、カメラを起動した。

巻緒と荘一郎に先に店に着いた報告をしなくては。せっかくだからここからの景色も送ってあげようと、咲はカメラを窓に向ける。

するとカメラ越しに映ったのは、眼帯をした黒装束の青年。

「アスラン!」

いつからそこにいたのか、突然現れた黒いかたまりに咲は思わず声を上げた。

窓向こうの銀世界で屈んでいる彼は何やら雪をかき集めている。雪だるまでも作っているのだろうか。その姿は窓越しでも鼻歌が聞こえてくるようで、まるではしゃぐ子供だ。肩のサタンにはしっかりフードをかぶせているが、自身はまったくお構い無しで降り続く雪を頭に乗せている。

そこに駆け寄る神谷の姿が見えた。気付いたアスランが勢いよく立ち上がって興奮した様子で語りかけている。

やがてアスランの手を神谷が握る。見つめ合う二人が窓の中で絵になって、咲は胸の奥がキュンと疼くを感じた。まるでお気に入りのカフェを見つけた日のような、宝物がまたひとつ増えて嬉しい、そんな気持ちで満たされていく。

この幸せを今すぐ伝えたい。誰に?カフェパレードのみんなに。

ーこれがあたしの宝物、あたしの大好きなひとたち。

雪の中抱き合う二人の姿を、咲のカメラが静かに記憶した。


間もなくカランコロンと鐘が鳴る。玄関には冷たい空気とともに荘一郎と巻緒の姿があった。

「遅くなりました」

「限定品が出てたので、思わず寄っちゃって」

二人が手土産箱を掲げて笑う。箱に書かれたロゴは駅向こうのケーキ屋のものだ。季節に合わせた新作を試験的に限定販売するので見逃せない、と先日巻緒が話していたところだった。

「買えたの?さっすがロール!」

「雪の日は絶対に出るって狙ってたんだ、サキちゃんから連絡貰って絶対に行かなきゃって思って」

巻緒がコートも脱がずに興奮気味に今回の新作について解説をはじめようとしたところで、再びカランコロンと鐘が鳴る。玄関に現れたのは、神谷とアスランとサタン。雪にまみれた二人のコートからは歩くたびに雪が舞い、綺麗に磨かれた床にこぼれ落ちていった。

「みんな揃ってたんだな!」

「どうしたんですかふたりして傘は…アスランさん、それは?」

「クックック…冬の精の力を受け、我とサタンの魔力は高まった…見よ!我が精製せし白銀のサタンである!」

「サタンさんの小さい雪だるまですね、可愛いです!」

「カミヤの助力があってこそだ、サタンも感謝している」

「うん、なかなか可愛くできたね」

「全く、二人して風邪でも引いたらどうするんですか」

途端に賑やかになるホールで、咲はまた胸をキュンと熱くした。神谷も、アスランも、荘一郎も、巻緒も、揃って鼻の頭がほんのり赤い。なにせ外は雪が降るほどの気温だ。

でもこれはこれでおそろいのチークみたいで可愛いな、と咲は微笑んだ。

そんな咲に神谷がウインクを投げる。

「それじゃあ、ティータイムの準備をしよう」

「うん!」

六人で迎えた雪の日のカフェパレード。

いつだって特別な今日が、一番の宝物。



「さっきすごくいい写真撮ったの!見てみて~」

「わ~!ふたりとも、お似合いですね!」

「咲!いつの間にこんな写真を?!」

「こんなに熱々じゃ、風邪を引く心配もありませんでしたね」

「し、東雲…!」

「大変です!アスランさんが気絶してます!」

「わー!アスラン大丈夫か?!」





ぽよ屋

ぽよ屋の二次創作物置き場。 現在置いてあるもの:神アス