Valentine2022
「これは…大量だな…」
次々と運び込まれるダンボール。
思いも寄らぬ事態に、神谷幸広とアスラン=ベルゼビュートII世は揃って途方に暮れた。
神谷が玄関でその内容と店前に停まるトラックを知った時、なにかの間違いかと耳と目を疑った。今日は2月14日、所謂バレンタインデー。届いたのは数千を超えるチョコレートだと言う。
送り主のプロデューサーに確認すると、電話の向こうからは「間違いではない」という答え。苦笑いともとれる声色に、これは社長と徹夜明けのプロデユーサーのコラボレーションが生み出したやらかしだなと察した。
自宅には入り切らないだろうそれを2階に運び込むわけにはいかず、ひとまずカフェパレード店内に運び込む。奥の壁が一面ダンボールで埋まったところで買い物から帰ってきたアスランは、目の前で繰り広げられる光景に思わず抱えていた買い物袋を落とした。(卵は割れた)
「まさか主からの闇の欠片がこれほどとは…」
「俺も驚いたよ、直接貰ったものが全てだと思っていたから」
「うむ…小さき黒き宝玉ではあったが、まさかあれが此の氷山の一角であったとはな」
中身が空になったトラックが去っていく頃には、店内は半分以上がダンボールで埋め尽くされていた。試しに手前のダンボールを開封すると、箱いっぱいに敷き詰められた赤い小箱。その一つを手にとって、神谷は部屋の端に乱雑に寄せられていた椅子に腰を掛けた。
「ここまで来るともはや業者だね」
アスランも隣に座り、梱包材を剥がす神谷の手元に視線を落とす。手の平に収まるほどのサイズではあるが高級感が漂うお洒落な箱。さり気ない金文字で記されている文字には見覚えがあった。この季節話題に上がるブランドチョコだ。この量をどうやって?という疑問は脳内で響き渡る事務所の社長の笑い声にかき消されていった。
「先日の主の物と相違ないようだな」
「うん、俺とアスランが貰った物と同じだ、美味しいんだよなあこれ」
「うむ、主はなかなかセンスが良い」
箱を開封すると甘い香りがふわりと広がる。中に綺麗に並べられたチョコレートはまるで宝石のようだ。つい数ヶ月前に行われたCM撮影のジュエリーを思い出し、アスランは笑みを浮かべた。
そんなアスランの口元に、神谷の指が宝石の一つを運ぶ。
「はい、アスラン」
アスランの鼻先に近付く深い香り。一瞬手で受け取るか悩んだものの、唇の前まで持って来られてしまったものをわざわざ掴むわけにもいかず、アスランはそのまま口で受け取ることにした。手持ち無沙汰な両腕がもどかしい。所謂「あーん」になってしまったこの状況を、どうか他の者にはせぬよう、とアスランは心で願うのだった。
唇で挟む形で受け取った一粒を丸々口に含み刃を立てる。黒い塊はゆっくりと形を崩しながら濃厚な甘みを口内に広げていく。
「アスラン、俺も」
そう言って神谷はアスランの肩に右腕を回した。近付けられる顔。ここまで来るとアスランも0.1秒先の展開を想像できるが、そこまで想像が至ると思考が停止してしまう。無意識に強ばる体を知ってか知らずか、神谷の左手が行場を失っていたアスランの手を握る。二人の瞼が閉じ、神谷の唇がアスランの唇にゆっくりと押し当てられた。アスランは真っ白な思考の中、自分の唇が自然に力を失うのを微かに感じていた。神谷の舌は探るように口内へ侵入し、熱で溶けていくチョコが二人の中で混ざっていく。
「やっぱり美味しいな」
至近距離で微笑む神谷の顔をまともに見れず、アスランは視線を逸らして黙った。言いたいことがたくさんあるはずなのに何一つ言葉にできず、アスランの口は微かに残るビターな後味を感じるばかり。
せめてもの思いでアスランは神谷の背に腕を回した。珍しいアスランからの行為に、神谷の胸は幸せで満たされていく。
胸の高鳴りが収まるまで、ほんの少しの無言時間を。
この時間を与えてくれたプロデユーサーさんに感謝を。
目の前に広がるダンボールの山は見ないふりをして、神谷は今この瞬間を大事にしようと目を閉じた。
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